2009年 08月 21日
「旧閑谷学校」
「吉永」という小さな駅に降り立ちました。
昼時だったので、
改札の駅員さんに「どこか美味しいお店はありますか」と尋ねると、
「なにしろ食い物屋がないからね・・・」とのつれない返事。
仕方なく、線路脇の道を進みます。
事前に調べておいたラーメン屋さんへ向かうことにしました。
「旧閑谷学校」は、駅からタクシーで10分程掛かりました。
山間の急な道を登り、蛇行する脇道に入って暫くすると、
その名の通りの光景が、僕達の目の前に広がってきました。
閑谷は、「しずたに」と読みます。
山奥の不便な土地でありながらも、
まとまりのある落ち着いた雰囲気です。
岡山藩主の池田光政が、寛文6年(1666)に、この地に立ち寄り、
その風光明媚な環境の美しさに感動。
「ここはゆくゆく学校を建てるべきところである」との言葉を残し、
4年後の寛文10年に津田永忠に学校設立を命じた。
(書名:閑谷学校より転載)
これが「閑谷学校」の始まりだそうです。
閑谷学校は我が国最初の公立(藩)の庶民の為の学校で、
現存する日本最古の学校建築。
そして驚くべきは、僕が生まれて間もない昭和39年まで、
校舎として使われ続けて来たということ・・・。
by a-kashi
| 2009-08-21 23:16
| 旧閑谷学校 訪問
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